“多様性”という言葉が周知されて久しいが、もともと多様性というよりも“均一化”が図られ国際競争力を高めてきた日本では、“多様性疲れ”ともいえる現象が起きているという。
そもそも多様性とは何か。日本で本質的に浸透しない背景には何があるのか。
生物学者池田清彦氏の新刊『多様性バカ』より、一部を抜粋して紹介していこう。
◆多様性のなさが功を奏して短期的な繁栄を手にした日本人
同じ種でもいろんなゲノム(遺伝情報)を有するものが存在していれば、それぞれちょっとずつタイプが違うので、環境が大きく変わったとしても、それに適応できるものが含まれる確率は高くなる。
自然環境が未来永劫変わらないなんてことはまずあり得ないのだから、長いタイムスケールで見た場合には、遺伝的多様性が高いほど、種として生き延びる可能性は高いということができる。
これは遺伝的多様性が低い単為生殖をする生物より、遺伝的多様性が高い有性生殖をする生物のほうが、圧倒的に種類数が多い理由である。
ところがこれは、「持続可能性」という観点の話で、短期的な繁栄という視点では、同じゲノム(遺伝情報)を持つクローンばかりの集団であるほうが効率がいい。そのときの環境に適応している限りにおいては、もっとも高い競争力を発揮することができるからだ。
◆「均一」であることが強みになる大量消費の時代
例えば普通のザリガニは有性生殖を行うが、ミステリークレイフィッシュというザリガニは、単為生殖で自らのクローンを増やし続けることができる。
このザリガニはオスがおらず、メスの産んだ卵が受精なしで発生してメスになり、その繰り返しでどんどん増える。
交配にエネルギーを使わないので、極めて効率よく繁殖する。すでに全世界に広がっているが、だいぶ前に侵入したマダガスカルでは、今ではもともと生息していたマダガスカル固有のザリガニを駆逐しているという。
1960年代から1980年代くらいまでの世界の産業は工業生産が中心で、安いものを大量に生産するというのが儲けるための条件だった。そういう環境下では、あらゆる意味で「均一」であることがもっとも効率がよく、競争力が高い。
大量消費の時代には、個性的な商品をいろいろ作るより、いかにして同じ商品をたくさん安価に作れるか、ほかよりいい品質に仕上げられるかが勝負なのである。
◆日本は均一な人材の「大量生産」に成功してしまった
そうなるとそれを担う労働者にも個性は不要で、ひたすら同じことを効率よく行う能力が求められる。だから、変な主張などしたりしない、勤勉で従順な労働者はまさに理想的なのである。
日本が欧米のマネをしながら家電や自動車などを製造し、それをより安くより大量に販売することによって世界第2位の経済大国にまでなったのも、日本人の一様に真面目な気質が環境に見事に適応し、一気に国際競争力を高めたからだ。
そのような日本人の均一化を実現させたのは、発想や頭脳の多様さを抑圧するかのような、横並びで画一的な教育である。
教科書通りに遺漏がないようすべて教えろとか、必ずこの教材を使えとか、こういう手順を踏んで教えろといった平準化した教育が徹底して施され、変な個性を発揮されたりすると面倒なので、校則などのルールで拘束して無理やり型にはめようとする。
そうやって、そこそこの能力を持つ均一な人材を文字通り「大量生産」することに成功した日本は、まさに「多様性のないこと」で短期的な繁栄を成し遂げたのだ。
◆イノベーションを起こすのに必要なのは個性的な頭脳
ところが、コンピュータとインターネットが発達した1990年代頃から、世の中は尋常でないスピードで変化していく。
そのような環境の中では、既存の商品を一定の品質でたくさん生産したり、それより少し品質の高い商品を作ったりするようなことでは太刀打ちできない。
これまで世の中に存在しなかったまったく新しい製品を生み出せるかどうかが勝負なのだ。0から1を生み出すようなイノベーションを起こすのに必要なのは、普通だと考えつかないような規格外の発想ができる個性的な頭脳である。
新型コロナウイルスの検査法ですっかり有名になったPCR(Polymerase ChainReaction /ポリメラーゼ連鎖反応)法を開発し、1993年にノーベル化学賞を受賞した生化学者のキャリー・マリスも、かなりユニークな人物だったようで、PCR法のアイデアも、当時勤務していたシータス社の職務とは直接関係はなく、当時つき合っていたガールフレンドとドライブをしていたときに突然ひらめいたのだという。
◆PCR法開発者も「エキセントリックな思想」の持ち主だった
この人はノーベル賞を受賞する前に「日本国際賞」も受賞しているが、その授賞式で皇后(現在の上皇后)に「スウィーティ(かわい子ちゃん)」と挨拶したらしい。
またLSDやマリファナを使用していたことも公言していて、自伝では、光るアライグマ(彼はそれをエイリアンだったと言っている)と会話を交わしたこともあると主張している。
たいがいのことには寛容なアメリカ人からも「エキセントリックで傲慢で奇怪な思想の持ち主」だと見られていたようだ。
そういえばマリスが発見した当初は、PCR法の応用可能性やその深遠な価値に気づいていた人はほとんどおらず、その発見に対してマリスがシータス社から受け取ったのは1万ドル(当時の日本円で約100万円)のボーナスだけだったそうだ。
けれどもシータス社はその後「PCR法」の特許で莫大な利益を得たうえ、その特許をスイスの製薬会社に売却して3億ドル(同約3000億円)を手にしている。
その件についてマリスは自身の著書で、「このアイデアが実現して会社に利益をもたらせば、会社は私にそれ相応の待遇をしてくれるはずだと思っていた。しかしそれは無邪気な考えだった」と後悔の弁を述べているが、これはかなり気の毒な話だと思う。
◆周りと同じではなかったからこそ革新的な製品を生み出せた
Appleの創業者であるスティーブ・ジョブズも、子どもの頃からその天才ぶりは際立っていたようだ。彼にとって学校の授業は退屈で、先生の言うことを素直に聞くことができなかったので、問題児として扱われた時期もあった。
しかし、彼の両親は、「興味をもつように仕向けず、しょうもないことを覚えさせようとする学校が悪い」といって学校のほうが変わることを求めたらしい。そして小学4年生にして高校2年生レベルの知能の持ち主であることを認めた学校は、彼に2年の飛び級を勧めたという。
両親の判断で実際の飛び級は1年だけだったが、そのクラスでいじめにあったりしたため、別の学校に行きたいという彼の願いを両親はなけなしのお金をはたいて叶えてやった。
また彼は周りに合わせることも苦手だったが、両親は彼を型にはめようとしたり、尖った性格を丸めるような教育はしなかったらしい。わがまま放題で育ったとも言えるだろうが、周りと同じではなかったからこそ、MacintoshやiPod、iPhoneなどの革新的な製品を次々と生み出すことができたのだろう。
◆扱いにくい「変わり者」を排除する日本
世の中をガラリと変えるような発見をしたり、イノベーションを起こしたりする人物というのは、世間から「変わり者」だと見られることが多い。しかし、扱いにくい「変わり者」をできるだけ排除しようとするのが日本の基本的なやり方だ。
だから、マリスとかジョブズのような斬新なことを考えたり、行ったりできる人間はこれまでほとんど輩出できていない。
確率からすれば、日本人にも彼らに勝るとも劣らないポテンシャルのある頭脳をもって生まれてきた人はいたはずだと思うけれど、バカみたいに画一化された教育でその才能も個性も潰されてしまったのではないだろうか。
義務教育課程での飛び級は一切認めないような、「過ぎたるは及ばざるがごとし」を地で行くような教育では、優れすぎているせいで枠をはみ出す天才は生きづらさや疎外感ばかり感じる羽目にもなりかねない。
「ABC予想」という難解な数論上の予想を証明したことで知られる天才数学者の望月新一は日本人ではあるけれど、父親の仕事の都合で5歳でアメリカに渡ったあと、中学生のときの1年間だけ筑波大学附属駒場中学校に通った以外は、ずっとアメリカで育つ。
そして、16歳でプリンストン大学へ進学し、19歳で学士課程を卒業して、23歳で博士課程を修了した。
もしも彼が日本の小学校や中学校に通っていて、日本の教育にどっぷり浸かっていたら、世界を驚かすような才能を存分には発揮できないままだったのではないかと思う。
◆日本の凋落は「変わり者」の居場所を奪い続けた結果である
「みんなで協力しながら一生懸命に働く」ことを美徳とする企業もまた、社員の考え方や働き方を多様化するという方向に舵を切ることがなかなかできなかった。
普通の人とは違う頭脳の持ち主というのは、そういう平準化された環境にはなかなか馴染めないだろうから、それでも無理して周りに合わせるか、そのまま世の中から弾き出されるかの二択しかなかった可能性もある。
そうやって人間の均一化を図ることばかりに執着し続け、結果として「才能ある変わり者」を排除してきた日本は、世の中が激変して同じやり方では通用しなくなっているにもかかわらず、1時間余計に働く、みたいな無駄な努力だけを重ねてきた。
日本がここまで凋落してしまったのは決してみんながサボったせいではなく、イノベーションを起こせたかもしれない「変わり者」の居場所を奪い続けてきたせいなのだ。
文/池田清彦 構成/日刊SPA!編集部
【池田清彦】
1947年、東京都生まれ。生物学者。早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。生物学分野のほか、科学哲学、環境問題、生き方論など、幅広い分野に関する著書がある。フジテレビ系『ホンマでっか!?TV』などテレビ、新聞、雑誌などでも活躍中。著書に『世間のカラクリ』(新潮文庫)、『自粛バカ リスクゼロ症候群に罹った日本人への処方箋』(宝島社新書)、『したたかでいい加減な生き物たち』(さくら舎)、『騙されない老後 権力に迎合しない不良老人のすすめ』(扶桑社)など多数。Twitter:@IkedaKiyohiko
(出典 news.nicovideo.jp)
記事を読み進めるにつれ、日本社会における多様性の不在がどれほどの影響を及ぼすかが明確になります。生物学者の見解を基に改めて考えることで、今後の社会改革に向けた指針となるはずです。私たちが変わり者を受け入れることで、新たな可能性が広がることを期待しましょう。
多様性の重要性が改めて問われるこのブログ記事は、日本が変わり者を排除してしまった歴史的背景を生物学者が分かりやすく解説しています。多様性を受け入れることで生まれる可能性について考え、より豊かな社会を築くために何が必要かを一緒に考えるきっかけを提供してくれます。
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